株式会社プロスキャリア

父の日

こんにちは、広報チームの佐藤です。

先週の日曜日は、父の日でしたね。皆さんは、お祝いをされましたか?何かプレゼントを贈りましたか?

母の日と比べると印象が薄くなりがちな父の日ですが、きちんと定義があるようです。

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父の日は、ワシントン州に住むドット夫人が、父の日も作って欲しいと牧師教会へ懇願された事から始まりました。

その訳は、ドット夫人が小さいころ、お父さんは軍人で南北戦争に徴収されている間、ドット夫人のお母さんが、女手一つで6人の子供を育てていましたが、お父さんの福員後、間もなく亡くなってしまいました。

その後、お父さんが、残された子供を再婚もせず、生涯独身で男手一つで育てたそうです。

その感謝の意を込めて、6人兄弟の末っ子のドット夫人が、父の日を申請したのです。

 

今も昔も、パートナー無しで家族を支える事は、とっても大変な事ですよね。

現代の日本と、昔の外国を比べる事は出来ませんが、さぞかし苦労も多かっただろうという事が、察すれます。

 

そんな理由から始まった父の日。

プレゼントすると良い品があるそうです。

 

父の日は、バラの花をプレゼントするという話があるようで、ドット夫人は、父の日に父親の墓前に白いバラを供えたそうです。

色は、存命する父親には黄色、亡くなった父親には白を送ると言われているようです。

バラの花と決まっている訳ではありませんが、黄色はどうやら定義があるようです。

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父の日黄色いリボンキャンペーンというイベントがあり、幸せや幸福の象徴である黄色を父の日のイメージカラーとしています。この事が、バラと融合して、黄色いバラを贈る風習が生まれ定着したようです。

 

さて、なぜ黄色なのでしょうか。

黄色は世界で最も大切にされている色の1つで、身を守る為の色として、愛する人の戦場での無事と帰還を願う黄色いリボンとなりました。やがて、黄色は命に係わる大切な色として、愛と信頼と尊敬を表す色として、世界各国に広がっていったようです。

 

なんだか、父の日ってとても深いですね。

 

このように、きちんと定義があって、生まれた日。今までは、なんとなく贈り物を贈るだけでしたが、黄色いお花も贈ってみたい。と思えた素敵なお話だと思いました。

 

皆様も、来年以降、良かったら是非黄色いお花を贈ってみて下さい。

 

 

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江戸時代の旅

こんにちは。広報チームの岡野です。

今回は前回書ききれなかった、江戸時代の旅に関する小ネタを書いてみたいと思います。

 

1:江戸時代の人々は1日にどのくらい移動できたのか。また、その速さは?

 

江戸時代、庶民の旅は基本的に徒歩であるというのは、皆さまもご存知の通りかと思うのですが、1日にどのくらいの距離を歩いたかと言いますと、一つの指標として『男十里、女九里』という言葉が残っています。

「里」というのは、距離を表す単位なわけですが、これを「km」に変換すると…『男40km、女36km』。結構な距離ですよね。

 

それだけの健脚、さぞかし歩く速さも速かったのでは?と思ってしまうところですが…

実はそんなに早くない…というか、結構ゆっくりだったと考えられているんです。

 

というのも、東海道を旅しようとする場合、日本橋を出発した旅人たちは『男40km、女36km』ということで、33km先の保土ヶ谷宿、またはその次、42km先の戸塚宿に泊まるのが、スタンダードな日程になるわけなんですが…

『お江戸日本橋、七つ立ち~♪』なんて歌にもある通り、日本橋から東海道へ向かう旅人は、日本橋の木戸の開く『寅の刻の七つ』から旅を始めたんですね。

寅の刻の七つというのは…おおよそ午前4時頃のこと。まだ暗いので、それこそ提灯が必要な時間帯です。

そこから、夕方、まだ日のあるうちに宿泊先に入る…ということで、夕方の5時くらいまで歩いたとされています。

 

ということは、移動のために13時間を使っているんですね。

もちろん、その間に休憩も食事もとるでしょう。でも、そこを差し引いても、まず10時間以上は掛けて歩いていることになるかと思います。

そんなわけで、成人男性の一般的な移動速度は時速4kmと言われていますが、それ以下の速度での移動だったのではないかと考えられるんですね。

 

ぶらぶらと、仲間との会話や風景を楽しみながらの歩き旅。10時間も歩く旅行というのは、今では考えられないとは思いますが、それはそれで、贅沢な時間だったのかもしれませんね。

 

 

2:江戸時代にも、ガイドブックが存在していた。

 

旅行をするにあたっては、旅を楽しむため、事前にwebページを見たり、ガイドブックを手に取ったりと、情報収集をしますよね。

海外旅行ともなると、あると便利な持ち物や、現地での心得なんかが一緒に書かれている事も多いですし、実際、それらの情報が役に立ったという方もいらっしゃるのではないでしょうか?

江戸時代にも、そんな旅の心得が書かれたガイドブックのようなものがあったんですね。

その中でも有名なのが『旅行用心集』という本。当時の旅人に絶大な支持を受けたと言われる一冊です。

 

内容としては、今ではびっくりしてしまうような謎の民間療法が載っていたりもしますが、

「朝寝坊は旅の行程に影響するよ」とか「宿の出入り口(要は非常口)を確認しよう」とか、現代にも通ずるような旅のノウハウが書かれています。

基本的に、書かれているのは、トラブルに巻き込まれないための心得が多いようですが、他にも、天気予報のやり方や、温泉とその効能が書かれていたり、宿場間の距離から、人足・馬などの費用にいたるまでの情報が網羅されているとあって、当時の旅を知る手がかりとしては、なかなかユニークな一冊と言えるかと思います。(そんなこんなで、現代語版も出版されていたりするので、お好きな方にはお勧めですよ)

 

ちなみに、筆者がついつい、この本を気に入ってしまった理由…それは、狐や狸に化かされたときの対処法が書いてあること。(笑)

旅行用心集によれば「そんなときは、まず落ち着いて、煙草でもふかして休憩を取り、来た道を冷静に思い出すとよい」のだそう。変だと思ったら、まずは落ち着きましょう…という辺りが、達観してますよね。

 

狐や狸の仕業でなくとも、不測の事態に遭遇したときには、このぐらい肝の据わった対応ができると、不要なトラブルを避けられるのかもしれませんね。

 

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3:遠方に情報を伝達するなら、使うべきは、馬 or 人?

 

旅行というカテゴリからは少し話がズレますが、江戸時代の情報伝達方法について、触れておきたいと思います。

江戸時代には、電話などの通信機器はありませんから、基本的には情報も人が運ぶことになります。これが当時の上流階級…いわゆる武士がお勤めで移動したり、公文書を輸送するとなると、それなりのお金を掛けることが可能ですよね。

では、お金に糸目をつけずに、情報をいち早く伝えたいなんてときには、一体、どんな手段があったのでしょう。ここでは、飛脚・早馬・早籠をご紹介しますね。

 

まず、書状や荷物を届ければ事足りる場合。

これは飛脚を使うことになると考えられます。

江戸時代の飛脚は、宿場毎に人を変えて走るという、駅伝のような方式で荷を運んでいたとされていて、最速の便になると、江戸から京都までを3日で輸送ができたと言われているんです。

ただし、この3日で輸送の飛脚、現在の金額に直すと、1便でお値段100万円以上。というのも、このとき、輸送に関わる飛脚の人数は100人を超える計算になるんですね。

それを考えると、一人頭1万円程度になるので、割と妥当なお値段設定…と思いきや、荷物の紛失・すり替え・飛脚自体が襲われるなどの危険もあり、結果、嘘の情報が伝わることをあったといいます。

信頼性をあげるためには、まず1便では済まないですよね。さらに嘘が伝わる可能性を考えると、当然、最重要機密には使えない手段になってしまいます。

 

ではどうするか…これはもう、信頼の置ける人自体を輸送するしかありません。

ということで、早馬・早籠の出番となります。

 

早馬というと、時代劇で、街道をサラブレッドが快走するシーンを思い浮かべる方がいらっしゃると思いますが、サラブレッドはイギリスで改良された馬ですから、当然、江戸時代の日本には存在しません。

そんなわけで、当時の日本の馬はどんな馬だったか?というと、もっと小さいんですね。ポニーに近かったとも言われています。

このポニーが人を乗せて、頑張って走るんですが…あまり早くないだろうなというのはお察しの通りなんです。さらに動物ですから、休憩も必要。

馬を途中で乗りかえたりもしますので、その手配も必要。そして、最大の欠点が…それは夜間走行は危険かつ困難であろうということ。当時の街道は街灯がありませんから、それこそ暗闇なんです。

それでも、お勤めのため、身体を馬に縛りつけ、昼夜を問わず馬に乗り、情報を伝えた人たちがいるんですね。早馬の乗り手は、身体が丈夫であることが条件になっていたといいますから、その過酷さが伺えます。

 

最後に早籠です。

その名の通り、籠を使って人を運びます。

ただし、求められるのは、スピード。

飛脚の籠バージョンと言ったらいいのか、担ぎ手が籠をリレーする形で走るんですが、担ぎ手4人に加えて、1人が前の棒を晒で引っ張り、1人が後ろの棒を押すなんていう、6頭立ての馬車ならぬ「6人曳き」というスタイルだったのだとか。

籠ですから、当然揺れます。普通の籠でも酔ってしまう人がいたのですが、早籠ともなると、それはもう、とんでもないことになります。

それでも追求すべきはスピード。

場合によっては、生死に関わる揺れになることもあったという話なので、乗る人も決死の覚悟で挑むことになります。そんなことから、確実な情報伝達のため、最低でも2便は出す必要があったのだとか。

早籠は最終手段とも言える、壮絶な情報伝達方法だったわけですね。

 

と、ここまで飛脚・早馬・早籠を見てきましたが、それぞれの速度はというと…おおよそ、時速5km程度の横並びなんです。

どの手段を使っても、江戸時代は正確な情報を伝えるのに、それなりの時間が掛かったことが伺えます。

現代、地球の裏側ともwebで繋がることができるというのが、どれだけ恵まれた環境にいるのかということを気付かせてくれる話ですよね。

 

さて、今回は江戸時代の旅に関する小ネタを書いてみました。鎖国をしていたということで、独自の文化が育った江戸時代。

筆者が大好きな時代の一つなのですが、また、ポッと思い出したネタがあったときにでも、記事にできたらなぁと思います。

では、今回はこの辺で失礼いたします。

 

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中高年の引きこもり

こんにちは、広報室の佐藤です。

今回は、昨今の悲しいニュースを得て私が感じた事、をお話ししたいと思います。

 

ここ最近、子供達や、家族が家族を殺傷する悲しい事件が、立て続けに起こっていますが…、共通点があるとすると、引きこもり。だと世間では言われているように思います。

犯人を擁護する訳でも無いし、この事件に関係無く、今の日本で問題になっている事だと思うので、ちょっと取り上げてみました。

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そもそも中高年の定義ってなんとなく曖昧ですが、私が見たニュースでは、40歳から60歳位の方たちを言うそうです。

それまで、引きこもりというと、若い学生が学校に行けなくなってしまい、引きこもりになってしまうイメージがありました。それがしかし、この「中高年の引きこもり」が結構居る事に驚きました。

皆さん、様々な理由があって、長年外に出られなくなってしまったと思うのですが、引きこもりになってしまう要因って、誰にでもあったりするような気がします。嫌な事があって、学校や職場に行けなくなってしまい、それが長引いて長い間、家の外に出られない。ちょっとしたきっかけで、誰もがなりそうですよね。

ただ、きっとそこで引きこもりにならなかった人は、傍にどなたか味方になってくれたり、話を聞いてくれたり、要は助けになってくれる人が居たからではないかな。と思います。

そういう方が、残念ながら傍にいなかった場合に引きこもりになってしまうのではないかな。と。もちろん自らの気持ちの強さも必要だとは思いますが、人は一人では生きていけないですし、弱ってる時は誰かの助けを得たいですもんね。

そこで、きっかけを得られず引きこもってしまうと、世の中に対して恨みを募らせたり、社会は自分に対して何もしてくれない。という一方的な感情を有してしまう場合があるのかもしれません。

なので、困っていたり、辛い事があれば、社会は手を差し伸べるし、何かしら出来る事があるというメッセージをもっと、社会全体で表に出して行く必要があり、それが今後、類似の事件を減らせるようになるかもしれない。という意見を耳にして、私もとても同感しました。

何でもそうですが、色々な施設や相談場所があったりするけれども、自分で調べたり、口コミだったりで情報って得る事が多いですよね。

ですが、悩んでいると、自分で調べる気力が失せてしまっていたり、情報を得る知人や友人等が傍にいない場合、全く前に進めない事になってしまう。なので、自然に目・耳に入る仕組みを考える必要があるのかな。と思いました。

少しでも、更に、助け合える社会が作られて行く事を願うばかりですね。

 

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江戸時代の旅行

こんにちは。広報チームの岡野です。

前回、黒船来航に関する小ネタを書かせていただいたのですが、その際に、江戸から泊りがけで黒船見物に来た人達がいた…なんて話もしたかと思います。

江戸時代の庶民の移動手段は、基本的に徒歩であるということは、前回の記事でもお伝えしたのですが、江戸時代の旅行事情というのは、どんな具合だったのか…?

今回は、そこに焦点を当ててみたいと思います。

 

そもそもですが、江戸時代というのは、旅行が禁止されていたといっても過言ではない時代なんです。

各地に関所が置かれ、武士であろうと庶民であろうと、通行するには藩に申請して手形等の許可をとる必要があり、自由な行き来は出来なかったんです。

なんだかんだ、実際には、抜け道を知る地元民に関所破りの手引きをお願いして、お金で解決が出来たなんていう話もあるのですが…もちろん見つかれば重罪。磔刑(たっけい)は覚悟しないといけない話だったんですね。

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そんなわけで、庶民の間では関所を越えない範囲での旅行というのが、手形の必要もなく、旅費も抑えられるので、手軽だったようです。

例えば、江戸っ子の場合。江戸時代に湯治が流行った時期があるのですが、一応、湯治の場合は庶民でも比較的、手形が取りやすかったとはいえ、そこは江戸っ子達、やはり関所越えは面倒だったんですね。

その結果、手形が必要ない範囲で湯治が出来るとして、箱根関所の手前付近および熱海の温泉に人気が出たんです。

特に熱海温泉は、徳川家御用達の湯で、江戸城に献上されていたりしたことから、当時の各地の温泉を大相撲の番付に見立てて付けられた温泉番付でも、別格扱いなんですね。

行司のところに名前が入っていたりしますから、そういう点でも人気があったのだと思います。

 

…とは書いてはみたものの、江戸時代の人達は遠出が全く出来なかったのかというと、そこには例外が存在するんです。

その例外というのが「信仰を目的とする旅」。中でも伊勢神宮への参拝は、幕府からも特別扱いをされていました。

というのは、伊勢参りが目的ならば、ほぼ無条件で手形が発行され、関所を通れたんです。他にも、参拝用の積立金の名目があれば、それにかかる税が免除されたんだとか。

当時の庶民にとって、伊勢参りは「一生に一度はお伊勢さん」とまで言われる旅。

実に当時の人口の6人に1人が参拝している計算になるんですね。本当に憧れの旅だったようです。

 

でも、この伊勢参りには、今では考えられないような参拝方法がありました。

それが「抜け参り」。

奉公人や子どもが、主人や親に黙って、手形を持たず、下手をすればお金も持たずに、伊勢参りに出掛けてしまうことを言うんだそうで、どう考えても、とんでもない参拝方法なわけなのですが…当時の社会観念では、なんとOKだったそうなんです。

関所も手形なしで通れちゃった(黙認)というんですから、驚きです。

 

さらに、抜け参りしたのが奉公人であった場合、その奉公人が無事に帰ったとき、主人が罰するなんていうのは、完全にナンセンス扱いだったんだとか。

むしろ無事に帰ったことを祝うくらいの器の大きさが求められたというんです。

抜け参りは、ある意味、職務放棄であると同時に、究極のストレス発散方法であったという考え方もあります。

ということは、抜け参りされちゃった主人というのは…奉公人に相当なストレスを与えちゃってたってことですよね。もしかしたら、それはそれで、主人のほうでも奉公人の扱いについて、考える機会になっていたのかもしれませんね。

 

しかし、ここで、お金を持たない抜け参りが、どうやって成立するのかが気になりますよね。

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その答えが、伊勢参りシンボルの「ひしゃく」です。

ひしゃくを持って歩いてさえいれば、その時点で、伊勢参りの参拝者として認められ、例え路銀がなかろうと、伊勢参りに事欠かない程度のお布施を、ひしゃくに入れてもらうことができたんだとか。

このとき、お布施をする側も、そうすることで神徳を高められるという考え方を持っていたので、無理のない範囲で協力的だったんだそうですよ。

また、伊勢周辺では、ボランティアも盛んに行われていたそうで、旅の途中で離れ離れになった人達を引き合わせたり、炊き出しを行ったりと、参拝に訪れた人達を助けるような動きがあったんですね。

宿に関しても、一般の人達が抜け参りを応援するために提供していたそうです。なんだか、時代の良さを感じる話ですよね。

 

…と、今回は、江戸時代の旅行事情を少し書いてみました。つい伊勢参りの話が長くなってしまい、他にも小ネタがあったりしたのですが、書ききれなくなってしまいました。

またの機会に小ネタをまとめてみたいと思います。では、この辺で失礼いたします。

 

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鼻血

こんにちは、広報チームの佐藤です。

 

皆さん、いきなりですが鼻血はよく出る方ですか?

我が子が最近、頻繁に鼻血を出すので、病院へ行ってきました。

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大人と子どもの鼻血は種類が違うといますが、頻繁に出てすぐ止まる鼻血は、

キーゼルバッハ部位からの出血のようです。

なんだかおしゃれで、音楽家みたいな名前ですが(笑)

鼻の入り口付近には毛細血管が数多くあり、アレルギー性鼻炎や風邪等の炎症により、鼻粘膜が充血し出血しやすい状態になっているようです。

鼻血ってすぐ止まるにしても、血は血なので、びっくりしますよね。

一度充血してしまった症状は、点鼻薬や、アレルギーを抑える飲み薬で、徐々に症状を和らげて行く事が出来るようです。

それでも治らない場合は…鼻粘膜を焼くという、軽い手術をすると治るらしいですが、大人でも相当痛いようです。なるべく点鼻薬と飲み薬で鼻血を出にくくしたいですよね。

 

この他にも、のぼせて出る鼻血もありますよね。

 

そういう時は、のぼせに効くツボがあるようです。

足の裏の指を曲げるとできるくぼみから、カカト方向へ向かって3寸の所です。片手で鼻の付け根をつまみ、ゲンコツで当泉を1~2分強めに叩くといいそうです。

二つ目は、足の指を曲げると足の裏に出来るくぼみ。これを同様に行うと、鼻血が止まりやすいようです。

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ただ、傷もなく、触りもしないのに、頻繁に鼻血が出る場合や、身体のどこかにあざが現れている、正しく止血しているのにも関わらず、出血が続く<目安は、20分間の止血を2セット>歯肉等、鼻以外からも出血が見られるような時は、腫瘍や血液疾患等の深刻な病気が隠されている事もあるので、病院へ行って検査をする事を推奨しているようです。

 

 

正しい止血方法は、前かがみになり、鼻の横の膨らみ<小鼻>を20分程度圧迫する。です。

 

これから暑くなって、のぼせて鼻血が出る事も増える季節…。

寝ている時に鼻血が出ると、シーツやらなんやら、寝具の大洗濯が大変なので、我が家では、大きいバスタオルをシーツの上に敷いています。そうすれば、洗濯物が減る確率が上がるので。

水分補給や、首筋、手足等を冷やすと、のぼせづらくなるようです。

 

 

 

これから暑い夏がやってきますね。

今回は、暑くなると我が家で起きる事件(笑)についてお話しました。

ご参考になる方がいらっしゃったら、とても嬉しいです。

 

 

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会社の強みを考える

プロスキャリアの三嶽です。

 

もう6月ですね。クールビスをスタートさせたいのですが、オフィス内ではエアコンの風の当たり所が悪いのか結構寒いので困っています。

冬にはひかない風邪をひくのもちょうどこの季節です。皆さんもご自愛ください。

 

日ごろから商談や面談などの機会で、良く聞かれる質問が「御社の強みって何ですか」というものです。

これってパッと答えるのが意外と難しい質問です。

地域密着でやっていること?逆に言えば他地域には展開出来ていないってことだし、ものづくり専門の人材サービス?それって工場でも所有して人材教育でもしているの?⇒持っていません、など一見強みとされるものは、実は弱みかも知れず、他者に負けない特色を作っていくというのは、日々の営業活動の横に長くつきまとっている課題に感じています。

 

当社本社が所在している大和市は人口20万人で、小田急線や相鉄線の駅もあり、神奈川のほぼ真ん中にある市なのですが、いまいちマイナー感が否めません(個人の感想です)。

東名高速道路で「大和トンネル付近」と言えば渋滞の聖地の様な場所という印象もあるのでしょうか。

しかし、その大和トンネルも現在増幅工事が計画されており、それが出来れば渋滞緩和が見込まれます。

つまり弱みの克服となります。

そういう風に1つずつ課題をクリアしていくことが大事なんだなあと思いながら、東名高速を名古屋方面に車を走らせていくと大和市が力強くPRしている横断幕が出てくるのをご存知でしょうか。

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『日本一の図書館の街 大和市』

そうです。「シリウス」というとてつもなくでかい図書館が2016年に開設され、1年で300万人、2年ちょっとですでに700万人以上の来場があったそうです。

大和市はこのシリウスという日本一の図書館で一気に強みを手にいれた訳です。

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写真で見てもその規模が伝わると思います。

あいにく館内の写真はありませんが、5階建ての大きな施設で広々エントランス、1Fにはスタバやイートイン付のコンビニがあり、キッズスペースや100円払えばラグジュアリー感漂うラウンジスペースの利用もできます。

もちろん日本一というのにふさわしい本の量や種類があり、高齢者や子育て世代、もちろん学生も含めた多くの人たちが安全、安心に共有、交流できる理想的な施設だと思います。

このシリウス事業の収支や経済効果の詳細はわかりませんが、駅とシリウスをつなぐ商店街などもいくらか活気づいてきたような気がします。

 

会社もそうですが日本一とは言わないまでも何か1つPRできる強みを持つことが営業や採用など諸活動において大事なんだと学びました…というお話ですが、余談ながらそのまま東名高速をさらに名古屋方面に進めていくと大和よりもっとマイナーな街、綾瀬市(個人の感想です)に入ります。

なぜ綾瀬市に入ったのかがわかるのか?というと、綾瀬市も大和市よろしく街のPR横断幕を高速道路に掲げているからです。

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『神奈川県のほぼ真ん中 綾瀬市』

…ドライバーの多くがここで「他にないのかよ!」と突っ込みを入れて走り過ぎていくことは言うまでもありません。私は私で大和市こそ神奈川のほぼ真ん中だと思っていたのでその後グーグルマップを見てみましたが…どっちもどっちでした!

強みがなければ強みを作る、または強みとして言い切る?ということを大和、綾瀬両市から学び、会社としても研鑽を重ねて行こうと思いを新たにしました。

 

大和市にお越しの際は日本で一番の図書館と大和市大和東のほぼ真ん中、プロスキャリアへぜひぜひお立ち寄りください。

 

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黒船来航

こんにちは。広報チームの岡野です。

 

前回の横浜開港の話を書いていた際に、黒船来航についての小ネタを思い出したので、既にご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、今回はその辺を書いていきたいと思います。

 

その1:ペリーさんが黒船で来た場所ってドコ?

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ペリーさんが黒船で来た場所というと、歴史の教科書にある通り「浦賀」をイメージされる方が多いかと思うのですが、どうでしょうか?

この「浦賀」という答え、半分は正解で半分は違うんです。

 

というのは、黒船が来航した時、ペリーさんが上陸したのは「浦賀」の隣町にあたる「久里浜」なんです。そのため「ペリー上陸記念碑」という碑があるのですが、実はこの碑は浦賀ではなく、久里浜の海岸通り沿いにある「ペリー公園」内に建てられているんです。

 

では、なぜ黒船来航というと「浦賀」になるんでしょうか。

それは、当時の久里浜沿岸は砂地で、黒船を接岸させることができなかったからなんです。そういう事情で、浦賀沖に停泊していた黒船は、最終的に幕府側の誘導で浦賀に接岸することになるんですね。

 

というわけで、ペリーさんが黒船で来た場所ってドコ?という問いに対する答えは…

正確に言うと、ペリーさんが上陸したのは「久里浜」。黒船が接岸したのは「浦賀」ということなんですね。

 

 

その2:親書の受け渡しに、影武者登場

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ペリーさんが黒船で来航した目的は、江戸幕府に鎖国を開かせることにあったわけですが、具体的に何をしに来たか…というと、当時のアメリカ大統領から預かった、開国を要請するという内容の親書を将軍に渡すために来たんです。

そういうことなので、ペリーさんは持ってきた親書を「下級の役人には渡せない」として、然るべき役職の者を出すように要求します。

この時「場合によっては、江戸城に直に行って将軍に渡すから」というような、かなり強気な姿勢もみせていたそうなんです。

 

結局、江戸城にペリーさんが来ちゃったら幕府としては困りますから、とりあえず、久里浜海岸に仮の応接所を設置。そこで、浦賀奉行とペリーさんとの間で、親書の受け渡しが行われました。そんなことから、先に紹介したペリー公園にも、2人の銅像があるわけなのですが…

 

実は、親書を受け取った浦賀奉行は、影武者なんですね。

 

幕府側も何があるか分からないということで、本物の浦賀奉行を出さなかったんです。

この影武者を務めたのは、香山栄左衛門(かやまえいざえもん)さんという人物。大柄で、かなり押しの強い人だったそうで「書簡の受け渡しの時は一言の問答にも及ばす、ただ書簡を受け渡すのみ」という申し入れをして、親書の受け渡しにかかった30分程の間、終始無言を貫くんですね。

「書簡は受け取るけど、内容を受け入れたわけではない」ということを態度で示すわけです。

 

が、この間、要人警護の名目で、応接所にはアメリカ海兵隊60名程が入り込み、香山栄左衛門さんの脇を固めていたんだとか。正直、生きた心地がしなかったでしょうね…。

 

でも、そんな中にあっても、香山栄左衛門さんはペリーさん達に偽者と見破られることもなく、立派に役目を果たすんです。すごい肝の据わり方ですよね。

 

ちなみに、この香山栄左衛門さんの事跡を記した碑というのが、西浦賀町の西叶(にしかのう)神社にあります。この碑は、香山栄左衛門さんの息子さんが、明治になってから、父の偉業をたたえて建立したのだそうですよ。

 

もし、ペリー公園に行く機会がありましたら、銅像こそありませんが、偽奉行こと、香山栄左衛門さんのことも思い出してあげてくださいね。

 

余談ですが、香山栄左衛門さんについての碑がある西叶神社には、対となる神社があり、名前を東叶(ひがしかのう)神社と言います。この東叶神社には、勝海舟が無事にアメリカに渡れるようにと、願掛けの断食をした際に、身を清めたと言われる井戸が残っていますよ。

 

西叶神社と東叶神社は対の神社と言うことで、2つで1つ。様々な縁にご利益があるとされていますので、もし行かれることがありましたら、是非、両方の神社にお参りしてくださいね。

 

 

その3:江戸庶民の野次馬根性

 

最後は、黒船来航にあたっての江戸庶民の様子について、書いていきたいと思います。

 

黒船の大きさは、当時最大の和船の25倍の大きさがあったと言われています。それが突然、自分達の目の前の海に現れたとなれば…庶民は、もちろん大騒ぎです。しかし、恐怖におののき逃げ惑うくのかと思いきや、そこは江戸庶民、ちょっと違うんですね。

 

というのも、なんと庶民の皆さん、見物のためにと、小船を出して黒船に押しかけたんです。中には芸者さんを連れてきて、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしちゃった人もいるんだとか。浦賀周辺には屋台まで出てきて、まさにお祭り状態。

 

もちろん、ペリーさんが乗っていた黒船の旗艦であるサスケハナ号の周りにも、たくさんの小船が来てしまい…黒船を見たら庶民はさぞかし怖がるだろうと思っていたペリーさん、庶民の一連の行動には、相当驚いたらしいです。

 

しかも、この見物人達ですが、黒船が来た日の翌日には浦賀に集まり始め、翌々日には江戸からも殺到したと言われています。

車でもあれば話は別ですが、当時の庶民の移動手段と言えば、基本は徒歩。健脚だったとは言われていますが、それでも江戸周辺から浦賀までの距離は、最低片道1泊が必要な行程だと思います。

それでも、この一大イベントを一目見るべく、泊りがけで旅して来ちゃうんですね。

幕府は黒船見物を禁止する立て札を立てたりしたのですが、全然、効果はなかったそうです。

 

当時の庶民の皆さん、流行に敏感というか、本当に好奇心旺盛だったんですね。

 

さて、今回は黒船来航に関する小ネタを書いてみました。

今回、江戸時代の庶民の話を書いていて、また小ネタをぽつぽつ思い出してきたので、機会があれば、まとめてみたいと思います。

それでは、この辺で失礼いたします。

 

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白い巨塔

こんにちは、広報チームの佐藤です。

 

今回は、5夜連続放送のあった<白い巨塔>の話をしたいと思います。

山崎豊子作品の代表作にあたるものですよね。

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どれも好きですが、白い巨塔は医学界の闇や財前五郎の一生が描かれていて、とても見ごたえある作品の1つだと思います。

私は、オンタイムで唐沢寿明の白い巨塔を見て来ましたが、岡田准一の財前五郎も見ごたえたっぷりだった。という感想です。

 

山崎豊子は、作品を作る前に、その題材となる世界を徹底的に取材して、作品を作る。という話を聞いた事がありますが、そのせいか、どのシーンも迫真迫った現実感ある映像で、見事にドラマに引き込まれてしまいます。

その取材力もですが、色々な視点から見て感じて描かれている事を感じます。

 

白い巨塔では、教授選編、医療ミス編と二部構成になっておりますが、どちらを通して見ても、財前五郎の悲しい人生像が胸を痛めました。

少年の頃から、地元の岡山で天才少年と謳われ、様々な方の協力を得て、国立大学の医学部に入学し、医師免許取得して、医師になっても、上に上り積める事だけを目指し、いつしか医療従事者としての在り方も忘れ、自らの病気にも気付けない程にのめり込み…。という所が、せっかく立派な頭脳を持っていても、欲や野心にまみれると人生を無駄にしてしまうのだな、という風に思いました。

仕事をしていれば、多くの方が野心を持ち、出世を望む事も多いかと思いますが、あまりに俗に溺れてしまうと、抜け出せなくなる恐ろしさがある。だから、そのバランスを取るのが難しいな。と思いました。

優秀って、羨ましい限りですが、優秀なだけに余計な苦労を背負ったり、苦しんだり、なかなか考えさせられるドラマでした。何の為に働いてるのか、どこまでを目指すのか。

人それぞれだけれども、少しはまり過ぎると彼のようになってしまうのだろう。

せっかく得た地位や名誉を駆使して、人が出来ない研究をしたり、人類の未来に繋がる事をしていれば、本人も、もっと楽に生きられたのではないか…。見ていて、生き方がとてもしんどいように見えていました。

死ぬ間際になって、やっと穏やかな人間に戻れてるように感じ取れましたが、もう少し早くにその事に気づいて欲しかったな。という感想を持ちました。

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私達も仕事をしていますが、何も特別な才能を持った人にだけに言える事ではなく、欲や野心にまみれる事はなく、自分の生活や家族や大事な物を守りながら、バランスを保って行く事が必要なのだな。と痛感したドラマでした。

 

 

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横浜開港の歴史

こんにちは。広報チームの岡野です。

 

6月1日(土)、2日(日)は横浜開港祭ですね。今年は開港160周年ということで、ステージや花火を楽しみにされている方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

今回は、前回の予告(?)通り、横浜開港に関係するお話をしていきますね。

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ちょっと歴史の話となりますが、そもそも、なぜ横浜に港が開港されたのか…というところから、話を始めたいと思います。

時は幕末。日本がまだ鎖国をしていた江戸時代に突如、黒船が現れます。

その黒船に乗ってきたペリーさんが開国を要求するんですね。

幕府は日米和親条約を結び、函館と下田の港を開港します。

これにより、日本は開国をすることとなります。

すると、今度はアメリカ総領事として下田に来たハリスさんが、幕府と日米修好通商条約を結ぶんですね。

ちなみに日米修好通商条約は、日本に不利な条件で結ばれていて、この後、この条約が改正されるまでには、およそ53年の月日が必要となってしまうのです…が、この話は脱線がすごいことになるので、話を戻しますね。

で、改めて締結となった、日米修好通商条約なのですが、ここで初めて「神奈川に港を」という話がでてくるんです。

 

実は筆者は、この「神奈川に港を」という部分。現役の学生時代の話ではありますが、すごく奇妙に思った記憶があるんです。

当時、筆者の学んだ教科書には、確か「神奈川(横浜)」という記述があったんですね。

筆者は「横浜はもちろん神奈川県」ということで、その時は読み流していたのですが、その認識がちょっと違ったんです。

というのは、日米修好通商条約で開港を約束していたのは、あくまで「神奈川」。

「横浜」の文字は出てこないんです。

どういうことかと言うと、ハリスさんが日米修好通商条約で開港を要求したのは、地域で言えば、現在の横浜市神奈川区にあたる場所なんですね。

当時その場所には、東海道の主要な宿場である「神奈川宿」がありました。

「神奈川湊」という大きな港があり、江戸とも陸続き。

幕府にとっては、それはそれは重要な宿場町だったんです。

そんな繁栄した港があるわけですから、無論、ハリスさんが要求したのは、この「神奈川湊」の開港なんですね。

しかし、幕府は勢いに押されて条約こそ締結したものの、神奈川湊を開港するなんてことはしたくないわけです。

では、どうするか。

なんと幕府は「条約にある神奈川というのは、神奈川湾(今の横浜湾)一帯を指して言うんだ」ということにして、実際には神奈川宿から離れた場所にある横浜村に、新しく港をつくるんです。

そして、神奈川奉行所と神奈川運上所を近くに設置。

「横浜は神奈川なんですよ」ということにしちゃうんです。もちろん、ハリスさんとはもめたと思います。

でも、かなり無理やりですが、幕府はこれを通しちゃったんですね。

これこそが筆者の学んだ教科書に「神奈川(横浜)」の記述がされたわけなんです。(この話を知ったとき、筆者はものすごく納得しました)

 

しかし、この無理やり通しちゃったことが、のちのち、響いたんじゃないかなぁ…?という記録があるんです。

「横浜は神奈川なんですよ」ということで設置した神奈川奉行所と神奈川運上所なんですが、大政奉還後の明治維新の時、新政府によって接収されます。

そして、そのかわりに、県庁の前身の機関である「裁判所」が、1868年3月19日、神奈川運上所のあった場所に設置されるんですね。

その名を「横浜裁判所」。

しかし、この「横浜裁判所」、4月20日には「神奈川裁判所」として改称されます。

その改称までの間、わずか1ヵ月程度。

目まぐるしく変化をしていた時代の話ではありますが、このエピソードに「横浜は神奈川なんですよ」と言っていた手前、ここで「横浜」の名前を前面に出すわけにはいかなかったんじゃないかなぁ…?と思うのは筆者だけではないはず。

記録がないので、あくまでも憶測ですが、先の無理やり通しちゃった条約の話が関係してるんじゃ…というウワサがあるのも、また事実なんですね。

そして「神奈川裁判所」は、後に「神奈川府の役所」となり、さらに「神奈川県の県庁」になっていったということです。

ということは改称がなく「横浜裁判所」のままだったら、神奈川県は「横浜県」だった可能性もあるんですね。(実際、明治初期の頃は、横浜県と呼んでいた方もいたそうですよ)

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ちなみに神奈川県の立庁記念日は「横浜裁判所」のおかれた1868年3月19日になっています。本当に「横浜裁判所」と「神奈川裁判所」の違いは名前だけだったんでしょうね…。

 

と、ここまで書いてきまして、神奈川県には神奈川という地名があるのにも関わらず、県庁所在地は横浜…というややこしさの理由についても、ここら辺に鍵があるような気がしてきました。

何はともあれ、学生時代の筆者は、教科書に書いてあった「神奈川(横浜)」の記述を「横浜はもちろん神奈川県」と解釈していたのですが、正しくは「横浜を神奈川にしちゃったよ」だったようです。改めて歴史をみてみると、面白いですよね。

 

さて、今回は横浜開港に関係するお話を書いてみました。

前回もそうだったのですが、今回も書いている途中で、歴史系の小ネタをいくつか思い出してきました。

また、次回以降にでも書いてみたいと思います。では、この辺で失礼いたします。

 

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落語

こんにちは、広報チームの佐藤です。

 

皆さん突然ですが、落語はお好きですか?

私は結構好きです。

私の父が落語好きですので、幼少の頃から一座を鑑賞しに行った事が何回もあります。

子供の頃は、何を言っているのか理解出来ない事も多々ありましたが、大人になって聞くと、結構面白いものです。

最近は私の父の影響もあり、我が子にも落語をたまに聞かせています。

子供向けの話もあり、とても分かりやすく、我が子も落語好きになってきました(笑)

 

今回はそんな落語の効果をご紹介したいと思います。

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年長者向けで、ただ面白い話をしているだけだと思いがちですが、素晴らしい沢山の私たちが学べる要素が詰まっているのです。

 

まずは、ビジネスシーンで役立つ理由をご紹介します。

 

落語では、話の展開や登場人物の心情を説明するために会話文が用いられるので、日常的な会話の進め方やかけ引きの手法などが学べるようです。

 

感情の表現や行動・言動についての補足など、多くの場面で「仕草」が効果的に使われているので、使うのは扇子と手ぬぐいだけで、あとは表情や身振り手振り、声の大きさやトーンで話を盛り上げる。こ

れらを参考にすればコミュニケーション能力もアップし、

名人たちの話術を参考にすることで、オーディエンスの心をつかむコミュニケーションの技法も身につく。自然とプレゼンの説得力も増すようです。

 

 落語は、「マクラ、本題、オチ」という組み立てから成り立っており、話の構成はきわめて論理的。

一見無駄にみえるような話の展開も、すべてはオチにむけてつながる重要な役割を果たす。単なる雑談をして何の意味もない時間を過ごすということがないところに、その秀逸さが存在しています。最後には必ず笑えるのが、その理由ですね。

 

 古き良き文化や慣習がちりばめられていて、落語に親しめば親しむほど、知識の広がりを感じ取ることができると思います。

様々な古典落語を聴いてみると、人間の悩みの本質は古今東西変わらないことが分かるし、学校では教えてくれない“世渡り力”を身につけることができるようです。

世渡り力こそ、仕事をして行く中で一番大事な事なのではないか。と、私は思っています。

 

年長者との会話が盛り上げられたり、自然と笑みがこぼれ誰もが笑顔になれるので、ストレス発散になりますね。

 

このように、ビジネスマンにとっては嬉しい効果が沢山練りこまれているのが落語なんです。

演説上手で有名な小泉進次郎さんも、落語が大好きなようで落語で話術を学んでいるようです。

 

仕事は、仕事内容もとても大事ですが、人間関係が上手く行っていると仕事は円滑に進むし、毎日楽しく仕事が出来ますよね。

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最後におまけで、落語の子供への効果もお伝えします。

 

落語は聴き手側の想像力も含めて成立するものです。

聴き手が情景を想像しやすいように、工夫を重ねて表現します。

話に集中して、自分の頭の中で想像し、それを理解して笑いに繋がる経験は

子供にとって想像力が鍛えられ、豊かな心を育む事ができます。

 

老若男女にとって効果絶大な落語。皆さんも、良かったら一度聞いてみて下さい。

きっと楽しいひと時を過ごせて、明日からのお仕事で活かせるポイントを得られる事と思います。

 

 

 

 

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