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坂の途中の家

こんにちは、毎日残暑が続きますね。身体を大事に毎日を過ごしましょう。

さて、本日は以前から気になり、本を読みドラマも拝見した「坂の途中の家」という物語のお話をしようと思います。

皆様の中で、既に読んでいたりドラマをご覧になった方はいらっしゃいますでしょうか。

このお話はフィクションですが、ノンフィクションのような…どなたでもどこかに共感出来る所があるような、とても深いお話となっているように感じました。

ネタバレとなってしまう所もありますが、話の内容が分かってからでも、観る価値はあると思うのでご了承下さい。

子育て中の女性が、とある刑事裁判の補充裁判員に選ばれ、子どもを殺害した母親についての証言を聞くうちに、自分を重ね、今の自分の人生そのものに疑問を抱くというもの。

私は現在、主人公の女性と似たような境遇にあるため、(小さい子の子育て中の方は当てはまると思います)自分のしてきたことが正しかったのか見つめ直す良い機会となり、考えさせられたり、得るものがたくさんありました。

一方で、あまりに緻密すぎる心理描写に息苦しさを感じたり、どちらかというとネガティブな主人公の気持ちに共感できず、途中で読むのをやめてしまう方もいると思います。子供も様々個性があって、育てやすいと言われる子、育てにくいと言われる子。

そして、親のとらえ方によっても、軽く考えられる人、深く悩んでしまう人、様々だと思います。

ですが、初めての子育ての場合、主人公や物語の中での被告人のような気持になってしまう事って、日常の中で誰でもあるのではないかと思いました。事件を起こしてしまった被告人は助けてもらえる状況になかったり、または助けてくれる人がいなかっただけなのではないか。と思ったりもしました。

刑事裁判の被告人である安藤水穂は、夫の寿士、生後8か月だった娘の凜と一緒に坂の途中にある一軒家に暮らしていて、主人公である山咲里沙子はその家にいつか自分たちが買うのだろうと思っていたため、水穂に自分を重ねていきます。

夢のマイホームを手に入れ、幸せを手に入れたのだろうと誰もが羨むような家庭。

しかし現実では母親が娘を殺害し、幸せとは程遠い場所にあったのです。

里沙子はこの経験を通じ、似たような一軒家を見るうちに今回のこと、そして自分の境遇について悩むのだろうと、容易に想像がつきます。

裁判が終わっても気持ちはそう簡単に切り替えられない。

平凡なタイトルとは裏腹に、裁判の判決を下すことの重さ、自分の日常にも今回の事件のような危うさが潜んでいることを表す、本書の内容に合ったタイトルとなっていると思いました。

突然、補充裁判員に選ばれた里沙子は、10日間も東京地方裁判所に通わなければならないことになってしまう。

担当するのは「乳幼児の虐待死事件」

被告人・安藤水穂(36)の顔は以前ニュースで見たことがあった。

生後8か月の長女・凛ちゃんを水の溜まった浴槽に落とし絶命させた、という事件。

最初は同じ母親として水穂を軽蔑していた里沙子だったが、裁判が進んでいくにつれて被告人に同情するようになっていく。

なぜなら、里沙子にも身に覚えがあったから。

娘の文香の夜泣きが酷いころ、ついイライラして文香を床に落としてしまったことがあった。

「大丈夫?」という夫の言葉の裏に「お前は頼りない母親だ」というあざけりが潜んでいるような気がして自信を失っていったこともある。

きっと育児をしたことのない人間には理解されないでしょう。

赤ん坊と四六時中いっしょにいることがどれだけのストレスになり、どれだけ母親の余裕を奪うのか。

公判が進むにつれて、里沙子自身も精神的に追い詰められていった。

慣れない裁判に戸惑っているというだけではない。

もしかしたら水穂がそうであったように、里沙子もまた夫や義母の言葉の裏に『悪意』を感じとるようになる。

「大変なら裁判員辞退したら?」という言葉は本当にただの心配なのだろうか?

その陰に「お前は人並み以下の人間だ」というあざけりが隠れてはいないだろうか?

被害妄想だと笑われるかもしれない。

けれど、里沙子にはそれが被害妄想なのかどうか確かめる方法はない。

夫の陽一郎は、とても優しい人で妻にいつも「無理はしないで」とやさしい言葉をかけてくれて、心配してくれる人だから、一見周りからも里沙子本人も、良い夫だと思っていたが、本当は相手を心配しているようで、傷つけ、さげすむことで自分の腕から出て行かないようにする愛し方の人間だった。

能力以上の事をやっているから、精神バランスが崩れるとか、そんな事出来る訳がない。等、人間性を否定するような事を日々言ってきたのだ。

そういう愛し方しかできないから。

そう考えると、この数日のうちにわきあがった疑問のつじつまがあっていくように、感じる里沙子。陽一郎は不安だったのだろう。

自分の知らない世界に妻が出ていって、一家の主が今まで思っていたほどには立派でもなく頼れるわけでもないと気づいてしまうことが、不安だったのだろう。

だから、私をおとしめることで威厳を保とうとした。

こんな簡単なことにどうして気がつかなかったのだろう。

きっと私は考えることを放棄していたのだ。

面倒を避けて楽をするために、私もまたあの人が望む愚かでちっぽけな人間を演じていたのだ。という事に気づくようになります。

そのような愛し方しか知らない人に愛されるために。

これから陽一郎との関係をどうするべきか、その答えはまだない。

離婚するかもしれないし、しないかもしれない。

ただ、先のことを考えると恐ろしい。

陽一郎の愛し方で、妻である自分ばかりか、文香まで愛することが…。

「モラハラ」というと、ただ罵倒するような言葉をかけられたりする事をイメージしがちですが、このように陽一郎のようなモラハラという形も、わかりづらいけれども、あるのだと、このドラマを観て知りました。

子育て家庭がテーマになっていて、親子・夫婦・義理親子・友人等様々な関係性が描かれている小説です。

この本に登場する2人の女性も、愛される形が少しいびつだった。

裁判員の補欠になった里沙子。子供を殺した水穂。どちらも夫や親からのいびつな愛で無意識に苦しめられていた。
1人はそれに気付き、1人は気付かぬまま子どもを殺す。虐待はほんの少しのボタンのかけ違いから起きるのかもしれない。ニュースで取り上げられる度に「なんでそんなことを」
「信じられない」と言う人がいるけれど。虐待するかしないかは、もしかしたら紙一重なのかもしれない。決して虐待は他人ごとではない。そう思わせてくれる本でした。

主人公の心理が丁寧に描かれ、共感するところも多かったのですが、とても読むのがしんどい小説でした。
その難しさが描かれているのみならず、「地方特有の考え」やコンプレックスから来る「えらいわね」の評価に、子供に追い抜かれることに嫉妬する親の様。
人が気付かない理不尽を悪意の表れと感じて、愛情なのか自身がひねくれているのか判断ができず、六実のように笑って済ませられないために自らが生み出した沼にはまっていく主人公などと、感じさせられる部分は多いです。
冷静に考えれば隠す必要がないことに、変な引け目を感じてしまうことなど身につまされる思いがしました。

あまりにリアルな家庭内の描写、義父母とのやりとり。他人には見せない、他人にはわからない、人間の奥底にある感情。

当事者だけが感じるいびつさ。違和感。これを里沙子は必死に他の裁判員に伝えようとするが、うまく言葉にできません。結局最後まで伝わることはありません。

それほど曖昧で表現の難しいことをこの本は巧みに描いていると思いました。きっと、救われる読者は私だけではないでしょう。第二の水穂が生まれないように、第二の里沙子にならないように、お互いがお互いを思って生活して行けたらと思いました。

独身の人も、既婚の人も、離別した人も。全ての人に読んでほしいです。人生に大きく影響を与える1冊でした。単純で面白い小説ではありませんが、多くの人に読んでもらいたいです。

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