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黒船来航

こんにちは。広報チームの岡野です。

 

前回の横浜開港の話を書いていた際に、黒船来航についての小ネタを思い出したので、既にご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、今回はその辺を書いていきたいと思います。

 

その1:ペリーさんが黒船で来た場所ってドコ?

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ペリーさんが黒船で来た場所というと、歴史の教科書にある通り「浦賀」をイメージされる方が多いかと思うのですが、どうでしょうか?

この「浦賀」という答え、半分は正解で半分は違うんです。

 

というのは、黒船が来航した時、ペリーさんが上陸したのは「浦賀」の隣町にあたる「久里浜」なんです。そのため「ペリー上陸記念碑」という碑があるのですが、実はこの碑は浦賀ではなく、久里浜の海岸通り沿いにある「ペリー公園」内に建てられているんです。

 

では、なぜ黒船来航というと「浦賀」になるんでしょうか。

それは、当時の久里浜沿岸は砂地で、黒船を接岸させることができなかったからなんです。そういう事情で、浦賀沖に停泊していた黒船は、最終的に幕府側の誘導で浦賀に接岸することになるんですね。

 

というわけで、ペリーさんが黒船で来た場所ってドコ?という問いに対する答えは…

正確に言うと、ペリーさんが上陸したのは「久里浜」。黒船が接岸したのは「浦賀」ということなんですね。

 

 

その2:親書の受け渡しに、影武者登場

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ペリーさんが黒船で来航した目的は、江戸幕府に鎖国を開かせることにあったわけですが、具体的に何をしに来たか…というと、当時のアメリカ大統領から預かった、開国を要請するという内容の親書を将軍に渡すために来たんです。

そういうことなので、ペリーさんは持ってきた親書を「下級の役人には渡せない」として、然るべき役職の者を出すように要求します。

この時「場合によっては、江戸城に直に行って将軍に渡すから」というような、かなり強気な姿勢もみせていたそうなんです。

 

結局、江戸城にペリーさんが来ちゃったら幕府としては困りますから、とりあえず、久里浜海岸に仮の応接所を設置。そこで、浦賀奉行とペリーさんとの間で、親書の受け渡しが行われました。そんなことから、先に紹介したペリー公園にも、2人の銅像があるわけなのですが…

 

実は、親書を受け取った浦賀奉行は、影武者なんですね。

 

幕府側も何があるか分からないということで、本物の浦賀奉行を出さなかったんです。

この影武者を務めたのは、香山栄左衛門(かやまえいざえもん)さんという人物。大柄で、かなり押しの強い人だったそうで「書簡の受け渡しの時は一言の問答にも及ばす、ただ書簡を受け渡すのみ」という申し入れをして、親書の受け渡しにかかった30分程の間、終始無言を貫くんですね。

「書簡は受け取るけど、内容を受け入れたわけではない」ということを態度で示すわけです。

 

が、この間、要人警護の名目で、応接所にはアメリカ海兵隊60名程が入り込み、香山栄左衛門さんの脇を固めていたんだとか。正直、生きた心地がしなかったでしょうね…。

 

でも、そんな中にあっても、香山栄左衛門さんはペリーさん達に偽者と見破られることもなく、立派に役目を果たすんです。すごい肝の据わり方ですよね。

 

ちなみに、この香山栄左衛門さんの事跡を記した碑というのが、西浦賀町の西叶(にしかのう)神社にあります。この碑は、香山栄左衛門さんの息子さんが、明治になってから、父の偉業をたたえて建立したのだそうですよ。

 

もし、ペリー公園に行く機会がありましたら、銅像こそありませんが、偽奉行こと、香山栄左衛門さんのことも思い出してあげてくださいね。

 

余談ですが、香山栄左衛門さんについての碑がある西叶神社には、対となる神社があり、名前を東叶(ひがしかのう)神社と言います。この東叶神社には、勝海舟が無事にアメリカに渡れるようにと、願掛けの断食をした際に、身を清めたと言われる井戸が残っていますよ。

 

西叶神社と東叶神社は対の神社と言うことで、2つで1つ。様々な縁にご利益があるとされていますので、もし行かれることがありましたら、是非、両方の神社にお参りしてくださいね。

 

 

その3:江戸庶民の野次馬根性

 

最後は、黒船来航にあたっての江戸庶民の様子について、書いていきたいと思います。

 

黒船の大きさは、当時最大の和船の25倍の大きさがあったと言われています。それが突然、自分達の目の前の海に現れたとなれば…庶民は、もちろん大騒ぎです。しかし、恐怖におののき逃げ惑うくのかと思いきや、そこは江戸庶民、ちょっと違うんですね。

 

というのも、なんと庶民の皆さん、見物のためにと、小船を出して黒船に押しかけたんです。中には芸者さんを連れてきて、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしちゃった人もいるんだとか。浦賀周辺には屋台まで出てきて、まさにお祭り状態。

 

もちろん、ペリーさんが乗っていた黒船の旗艦であるサスケハナ号の周りにも、たくさんの小船が来てしまい…黒船を見たら庶民はさぞかし怖がるだろうと思っていたペリーさん、庶民の一連の行動には、相当驚いたらしいです。

 

しかも、この見物人達ですが、黒船が来た日の翌日には浦賀に集まり始め、翌々日には江戸からも殺到したと言われています。

車でもあれば話は別ですが、当時の庶民の移動手段と言えば、基本は徒歩。健脚だったとは言われていますが、それでも江戸周辺から浦賀までの距離は、最低片道1泊が必要な行程だと思います。

それでも、この一大イベントを一目見るべく、泊りがけで旅して来ちゃうんですね。

幕府は黒船見物を禁止する立て札を立てたりしたのですが、全然、効果はなかったそうです。

 

当時の庶民の皆さん、流行に敏感というか、本当に好奇心旺盛だったんですね。

 

さて、今回は黒船来航に関する小ネタを書いてみました。

今回、江戸時代の庶民の話を書いていて、また小ネタをぽつぽつ思い出してきたので、機会があれば、まとめてみたいと思います。

それでは、この辺で失礼いたします。

 

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