江戸時代の旅
こんにちは。広報チームの岡野です。
今回は前回書ききれなかった、江戸時代の旅に関する小ネタを書いてみたいと思います。
1:江戸時代の人々は1日にどのくらい移動できたのか。また、その速さは?
江戸時代、庶民の旅は基本的に徒歩であるというのは、皆さまもご存知の通りかと思うのですが、1日にどのくらいの距離を歩いたかと言いますと、一つの指標として『男十里、女九里』という言葉が残っています。
「里」というのは、距離を表す単位なわけですが、これを「km」に変換すると…『男40km、女36km』。結構な距離ですよね。
それだけの健脚、さぞかし歩く速さも速かったのでは?と思ってしまうところですが…
実はそんなに早くない…というか、結構ゆっくりだったと考えられているんです。
というのも、東海道を旅しようとする場合、日本橋を出発した旅人たちは『男40km、女36km』ということで、33km先の保土ヶ谷宿、またはその次、42km先の戸塚宿に泊まるのが、スタンダードな日程になるわけなんですが…
『お江戸日本橋、七つ立ち~♪』なんて歌にもある通り、日本橋から東海道へ向かう旅人は、日本橋の木戸の開く『寅の刻の七つ』から旅を始めたんですね。
寅の刻の七つというのは…おおよそ午前4時頃のこと。まだ暗いので、それこそ提灯が必要な時間帯です。
そこから、夕方、まだ日のあるうちに宿泊先に入る…ということで、夕方の5時くらいまで歩いたとされています。
ということは、移動のために13時間を使っているんですね。
もちろん、その間に休憩も食事もとるでしょう。でも、そこを差し引いても、まず10時間以上は掛けて歩いていることになるかと思います。
そんなわけで、成人男性の一般的な移動速度は時速4kmと言われていますが、それ以下の速度での移動だったのではないかと考えられるんですね。
ぶらぶらと、仲間との会話や風景を楽しみながらの歩き旅。10時間も歩く旅行というのは、今では考えられないとは思いますが、それはそれで、贅沢な時間だったのかもしれませんね。
2:江戸時代にも、ガイドブックが存在していた。
旅行をするにあたっては、旅を楽しむため、事前にwebページを見たり、ガイドブックを手に取ったりと、情報収集をしますよね。
海外旅行ともなると、あると便利な持ち物や、現地での心得なんかが一緒に書かれている事も多いですし、実際、それらの情報が役に立ったという方もいらっしゃるのではないでしょうか?
江戸時代にも、そんな旅の心得が書かれたガイドブックのようなものがあったんですね。
その中でも有名なのが『旅行用心集』という本。当時の旅人に絶大な支持を受けたと言われる一冊です。
内容としては、今ではびっくりしてしまうような謎の民間療法が載っていたりもしますが、
「朝寝坊は旅の行程に影響するよ」とか「宿の出入り口(要は非常口)を確認しよう」とか、現代にも通ずるような旅のノウハウが書かれています。
基本的に、書かれているのは、トラブルに巻き込まれないための心得が多いようですが、他にも、天気予報のやり方や、温泉とその効能が書かれていたり、宿場間の距離から、人足・馬などの費用にいたるまでの情報が網羅されているとあって、当時の旅を知る手がかりとしては、なかなかユニークな一冊と言えるかと思います。(そんなこんなで、現代語版も出版されていたりするので、お好きな方にはお勧めですよ)
ちなみに、筆者がついつい、この本を気に入ってしまった理由…それは、狐や狸に化かされたときの対処法が書いてあること。(笑)
旅行用心集によれば「そんなときは、まず落ち着いて、煙草でもふかして休憩を取り、来た道を冷静に思い出すとよい」のだそう。変だと思ったら、まずは落ち着きましょう…という辺りが、達観してますよね。
狐や狸の仕業でなくとも、不測の事態に遭遇したときには、このぐらい肝の据わった対応ができると、不要なトラブルを避けられるのかもしれませんね。
3:遠方に情報を伝達するなら、使うべきは、馬 or 人?
旅行というカテゴリからは少し話がズレますが、江戸時代の情報伝達方法について、触れておきたいと思います。
江戸時代には、電話などの通信機器はありませんから、基本的には情報も人が運ぶことになります。これが当時の上流階級…いわゆる武士がお勤めで移動したり、公文書を輸送するとなると、それなりのお金を掛けることが可能ですよね。
では、お金に糸目をつけずに、情報をいち早く伝えたいなんてときには、一体、どんな手段があったのでしょう。ここでは、飛脚・早馬・早籠をご紹介しますね。
まず、書状や荷物を届ければ事足りる場合。
これは飛脚を使うことになると考えられます。
江戸時代の飛脚は、宿場毎に人を変えて走るという、駅伝のような方式で荷を運んでいたとされていて、最速の便になると、江戸から京都までを3日で輸送ができたと言われているんです。
ただし、この3日で輸送の飛脚、現在の金額に直すと、1便でお値段100万円以上。というのも、このとき、輸送に関わる飛脚の人数は100人を超える計算になるんですね。
それを考えると、一人頭1万円程度になるので、割と妥当なお値段設定…と思いきや、荷物の紛失・すり替え・飛脚自体が襲われるなどの危険もあり、結果、嘘の情報が伝わることをあったといいます。
信頼性をあげるためには、まず1便では済まないですよね。さらに嘘が伝わる可能性を考えると、当然、最重要機密には使えない手段になってしまいます。
ではどうするか…これはもう、信頼の置ける人自体を輸送するしかありません。
ということで、早馬・早籠の出番となります。
早馬というと、時代劇で、街道をサラブレッドが快走するシーンを思い浮かべる方がいらっしゃると思いますが、サラブレッドはイギリスで改良された馬ですから、当然、江戸時代の日本には存在しません。
そんなわけで、当時の日本の馬はどんな馬だったか?というと、もっと小さいんですね。ポニーに近かったとも言われています。
このポニーが人を乗せて、頑張って走るんですが…あまり早くないだろうなというのはお察しの通りなんです。さらに動物ですから、休憩も必要。
馬を途中で乗りかえたりもしますので、その手配も必要。そして、最大の欠点が…それは夜間走行は危険かつ困難であろうということ。当時の街道は街灯がありませんから、それこそ暗闇なんです。
それでも、お勤めのため、身体を馬に縛りつけ、昼夜を問わず馬に乗り、情報を伝えた人たちがいるんですね。早馬の乗り手は、身体が丈夫であることが条件になっていたといいますから、その過酷さが伺えます。
最後に早籠です。
その名の通り、籠を使って人を運びます。
ただし、求められるのは、スピード。
飛脚の籠バージョンと言ったらいいのか、担ぎ手が籠をリレーする形で走るんですが、担ぎ手4人に加えて、1人が前の棒を晒で引っ張り、1人が後ろの棒を押すなんていう、6頭立ての馬車ならぬ「6人曳き」というスタイルだったのだとか。
籠ですから、当然揺れます。普通の籠でも酔ってしまう人がいたのですが、早籠ともなると、それはもう、とんでもないことになります。
それでも追求すべきはスピード。
場合によっては、生死に関わる揺れになることもあったという話なので、乗る人も決死の覚悟で挑むことになります。そんなことから、確実な情報伝達のため、最低でも2便は出す必要があったのだとか。
早籠は最終手段とも言える、壮絶な情報伝達方法だったわけですね。
と、ここまで飛脚・早馬・早籠を見てきましたが、それぞれの速度はというと…おおよそ、時速5km程度の横並びなんです。
どの手段を使っても、江戸時代は正確な情報を伝えるのに、それなりの時間が掛かったことが伺えます。
現代、地球の裏側ともwebで繋がることができるというのが、どれだけ恵まれた環境にいるのかということを気付かせてくれる話ですよね。
さて、今回は江戸時代の旅に関する小ネタを書いてみました。鎖国をしていたということで、独自の文化が育った江戸時代。
筆者が大好きな時代の一つなのですが、また、ポッと思い出したネタがあったときにでも、記事にできたらなぁと思います。
では、今回はこの辺で失礼いたします。
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