松坂大輔と斎藤佑樹は野球史に名を残しました
こんにちは。人材開発の冨田です。
先日、引退試合が行われました松坂大輔投手と斎藤佑樹投手について、少し語らせてください。
この二人は、年齢は八つ離れているのですが、ひとつ強烈な共通点があります。
それは、高校野球、夏の甲子園での伝説ぶりです。二人のエピソードは今なお語り種となっています。高校野球の名試合特番があれば、必ずと言って良いほど彼らの試合が取り上げられます。
詳しくは後述しますが、とにかく伝説なんです。
野球を知らない人も、この二人の名前は知っているのではないでしょうか。
それでは、まずは平成の怪物と呼ばれた松坂大輔投手からです。
松坂大輔
松坂投手といえば、まずは横浜高校時代です。甲子園で春夏連覇を成し遂げ、さらに、公式戦で一度も負けたことがないという、高校野球史に残る最強チームの絶対的エースでした。
そんな最強横浜高校ですが、甲子園で語られる伝説の試合が、準々決勝で対戦したPL学園から決勝戦までの3試合です。
準々決勝のPL学園戦は、17回までの延長戦をたった一人で投げ切り勝利しました。真夏の灼熱の太陽のもと一人で投げ切り、点を取っては追いつかれという激戦を制したのです。
続く準決勝はさすがに投げられる状態ではありませんので、レフトから二番手の投手を見守ります。
ですが、試合展開はかなり劣勢となり、8回表で0対6と負けていました。
誰もが、ここまでかと諦めていたところ、ここからドラマが始まります。
8回裏に4点を返して追い上げムードになった次の回、ついに松坂投手がマウンドに上がったのです。
それも、右腕にぐるぐる巻きにしていたテーピングをはがすシーンが印象的でした。まるで正義の味方が助けに来てくれたような高揚感を覚えました。
松坂投手は9回表をぴしゃりと抑えると、その裏に3点を奪い劇的な逆転サヨナラ勝ちをしました。
これだけでも十分なドラマなんですが、さらに締めくくりは決勝戦です。
連投の松坂投手は、なんと決勝戦でノーヒットノーランを達成しました。
これが今でも語り継がれる松坂大輔の怪物伝説です。
その後、高卒でプロ野球に入り、1年目から大活躍していきました。すぐさま西武のエースとなり、そしてプロ9年目でメジャーへ挑戦します。
レッドソックスでは1年目15勝、2年目18勝と、その実力をいかんなく発揮しました。
ただし、順風満帆なのはここまでです。
その後は度重なる怪我に悩まされ、引退するまで思うような成績が残せませんでした。
日米通算成績は、170勝108敗 防御率3.53 ですが、170勝のうち158勝は20代のうちに達成していました。
松坂大輔は、頂点とどん底を経験した唯一の選手かもしれません。
そんな松坂投手が、メジャーへ渡る前の年、甲子園では新たなスターが誕生しました。
斎藤佑樹
マウンドでポケットからハンカチを取り出し上品に汗を拭く姿。それを世間は「ハンカチ王子」と呼びました。
端正な顔立ちに似つかない気迫のこもった投球は、なみいる強打者たちをバッタバッタと封じ込めました。
2006年の夏の甲子園は伝説の大会となりました。
斎藤佑樹擁する早稲田実業は、伝統校であるにもかかわらず、意外にも夏の大会で優勝経験はありませんでした。
そして迎えた決勝戦では、田中将大擁する駒大苫小牧と対戦することになります。
エース同士の投げ合いは試合の流れを一向に渡さず、延長15回でも決着がつかずに再試合となりました。
翌日の再試合にも両エースは登板し、またもや接戦となります。
真夏の炎天下、連投に次ぐ連投で体力はすでに限界値。斎藤投手は最後に4連投することになりましたが、もはや精神力だけでマウンドに上がっている状態でした。
そして再試合では、1点差の9回、最後の打者田中将大選手を三振に取り、早稲田実業は初優勝を飾りました。
この時の斎藤佑樹投手の人気ぶりは、アイドル顔負けの無双状態でした。
その後早稲田大学へ進学し、大学野球でも大活躍しました。
とにかく、高校、大学では彼の人気は群を抜いていて、彼が投げる時にはスタンドはいつも満員状態でした。
そんな斎藤佑樹投手は、鳴り物入りでプロ野球の世界へ入ったのですが、プロではなかなか思うような成績が残せませんでした。
同期には、田中将大投手や前田健太投手や大野雄大投手、そして坂本勇人選手や柳田悠岐選手や秋山翔吾選手と、超大物選手がズラリと名を連ねています。
1988年世代は稀に見る豊作です。
若かれし頃、そんな世代で一番輝いていたのは間違いなく斎藤佑樹投手でした。
最後に
松坂大輔と斎藤佑樹、彼らは若かれし頃、燦然と輝くスーパースターでした。
斎藤佑樹投手は怪我の影響もありプロではなかなか結果が残せなかったですが、それでも一切弱音を吐かず、日々鍛錬を重ねてきました。だからこそ、あんなにも温かい引退セレモニーを用意してくれたのだと思います。
松坂大輔投手は日本のプロ野球でもメジャーリーグでも頂点を極め、「平成の怪物」という名にふさわしい活躍を見せてくれました。
しかしながら、30代からは度重なる怪我で不遇の時代に突入し、晩年は苦しい野球人生となりました。
二人には共通点があります。
それは、一時は頂点を極めたこと、そして同時に地獄も味わったことです。
輝きが大きいほど、その後の転落は精神的ダメージが大きいと思います。
ただ、そんな悪い時にでも、批判を浴びている時にでも、しっかりと前を向き努力してきました。
人は、調子が良いときはみんな良く見えるのです。
本当に大事なのは、状態の悪い時に、どんな姿勢で、どのように向き合っているかです。
そういう姿勢に、人の真価が問われるのだと思います。
どんな選手でも引退の時期は訪れます。
彼らは第二の人生をどう生きるのか、これからも注目していきたいと思います。
********************************************
プロスキャリアでは工場内での製造のお仕事からピッキング・軽作業など多数ご用意しております。 高収入のお仕事が多く、正社員登用実績も多数あります。神奈川・東京で仕事をお探しの方はぜひお問い合わせください! お仕事検索「ジョブ&キャリア」
コーポレートサイト https://proscareer.co.jp/
********************************************