花束みたいな恋をした
こんにちは、広報チームの佐藤です。
すっかり映画館から遠ざかっておりましたが、この映画は観たいと思い、映画館へ足を運びました。
鑑賞する前までは、若者の恋愛が描かれているのかと思っていたのですが、実際は、恋愛から始まり、様々な二人の心の葛藤や、等身大の私たちが感じたり経験する事が描かれており、とても心に沁みる映画でしたので、今回はこの映画のお話をしたいと思います。
東京の大学生、麦(菅田将暉)と絹(有村架純)は、ある夜に終電を逃し、明大前駅の改札で偶然に出会う。
話してみると、信じられないくらいに趣味が一致していることに気づき、意気投合。
大学を卒業して、最寄駅まで徒歩で30分かかる多摩川沿いの部屋で同棲を始めた二人は、少ない実入りのフリーターをしながら好きな音楽や映画に囲まれる生活を続けていく。
麦や絹は、日本人の大多数から見れば、“マニアック”な部類の趣味を持っていると思いました。
実際私は知らない話題だらけだと感じました。
だからこそ、麦と絹はそれぞれに出会えたことを運命だと感じることになる。とはいえ、二人の知識や趣向は、あくまで広く浅く、日本の“マニアックな”ポップカルチャーの表層をなぞるような聴き方、観方、感じ方をしているような印象を受けるところもある。
そのような姿勢が表面化してくるのが、二人が同棲した後の展開である。当初は「現状維持が目標」と言っていた麦は、周囲が就職し着実にキャリアを積んでいるという事実と、一向にステータスの上がらない自分の境遇に対し、次第に焦燥を感じ始める。
彼はWEBサイトにイラストを提供するという請負の仕事をしていたが、賃金の交渉をすると「それなら“いらすとや(商用利用可のイラスト提供サイト)”を使う」と言われてしまう。
つまり、クリエイティブな分野における彼の市場価値は、その程度だったということだ。
その事に気付いて、麦は就職をします。が、絹は、やりたい事をやって生きていきたいという思いを、ずっと変わらず抱き続けている。
そこに、溝が出来て、二人の間に、少しずつ距離が出来てしまう。
この設定も、私たちの日常でよく繰り広げられてる問題なのではいだろうか。と思いました。
麦や絹の普通さというのは、「じゃんけんのグー(石)がなぜパー(紙)に負けるのだろう?」という幼少期からの疑問を、おそらくは“自分の固定観念に縛られない自由な発想と感受性の豊かさを示すエピソード”であるかのように捉えているということからも分かる。
この考えを共有していることで、二人は互いに相手を素晴らしい人だと思ってしまう。
しかし、これはよく考えたら、相手を評価しているようでいて自分を褒め称えているようなものではないか。
実際、このようなじゃんけんに対する視点というのは、珍しいものでは全くない。私自身も同じことを思ったことがあるし、これまで生きてきて数人に同じような疑問をぶつけられたことがある。
脚本の坂元裕二は、おそらく意図的に、このようなありふれたエピソードを用意しているのではないだろうか。
本作で見られるのは、“自分のことを特別だと思っていた人間が、じつは凡庸な存在だった”という残酷な事実に、少しずつ気づいていくという積み重ねの物語である。
そして、麦のようにクリエイターを志望する者が、生活のために会社で実務的な業務に携わり、次第に創作などから離れてしまい、“パズドラ(ゲームアプリ『パズル&ドラゴンズ』)”くらいしかやる気になれない状況に陥るというのも、非常にありふれた構図だ。それは結局、自分たちが大学時代に心の中で軽蔑していたような人物像そのものになっているということではないのか。
麦は正社員として働き始めた当初は、余った時間で創作活動や作品鑑賞をすると言っていたが、それすらも投げ捨ててしまっている。
彼にとってポップカルチャーというのは、体力を削ってまで取り組むものではなくなってしまっているのだ。
彼の鏡像たる絹もまた、結婚してより生活に追われるようになれば、近い状況になるはずである。
おそらく彼らは本質的に変化したわけではなく、大学時代はそういうものに割く時間的な余裕と経済的余裕があったというだけではないのか。
二人の関係の破綻というのは、そのことに気づいていくという流れなのだろう。と思いました。
本作のクライマックスは、二人の恋愛が決定的な終わりを迎えてしまう、ファミレスでのシーンである。
主人公たちの視界に現れた、ある若手俳優たちによって演じられるポップカルチャー好きの初々しい学生のカップルは、かつての自分たちそのままの姿である。
麦と絹は、互いに涙を流しながらその光景を見つめ、最後の抱擁をすることになる。
ここでの選択肢は、本作のように選ぶ道もあれば、違う道も選ぶ二人もいるのだろう。
がどちらを選んでも、何かしらの問題や不満はあるので、今の選んだ現状を受け入れ満足いくように度努力をして過ごしていくべきなのだろうな。と感じました。
そして、二人は涙を流すのですが、一見、この涙は二人のノスタルジーが刺激されただけのようにも見えるが、このファミレスでの光景は、“自分たちがいかにありふれた存在だったか”ということをまざまざと見せつけられる眺めだったのではないか。
麦と絹は、自分たちがポップカルチャーによって一般の人とは違う高みに到達しているという幻想の中に暮らしていた。その魔法が決定的に消え去ったのが、このファミレスでの出来事だったように思えるのである。
ある世代の夢みがちな若者が、厳しい現実に接続され折り合いをつける姿を描くことで、同様に社会に取り込まれていったことで、行き場のなくなった若い時代の熱を鎮めてくれる役割を担っていると感じられるのだ。普通の日常で繰り広げられる恋愛の生末を、細かく分かりやすく描かれている所に、共感したりする人が多い映画なのではないだろうか。と思いました。
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