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プロ野球選手の引退は己の生き様

 

こんにちは。人材開発の冨田です。

今年、あの「平成の怪物」と言われた松坂大輔投手が引退することになりました。

メジャーから日本に凱旋してからというもの、度重なるケガの影響で不本意なシーズンを過ごすばかりとなりました。

そんな彼も、昨年古巣の西武ライオンズに移籍し、なんとか最後に勇姿を見せようと頑張っていましたが、けいつい手術の影響から、もう指の神経がどうにもならず、ついに引退を決断することになりました。


ところで、松坂投手もそうですが、プロ野球選手の引退というのは、小さい頃からやってきた生活の一部というか、むしろど真ん中である「野球」をやめることです。
半端ない喪失感に襲われるのではないかと思います。

現役の引退は、彼らにとってすごく特別なことだし、それぞれのタイミングがあります。

自分の意思で決められる人もいれば、解雇により続けたくても続けられない人もいます。

40代半ばまでボロボロになりながら、使ってくれるまで続ける人。

現役バリバリのままやめる人。

どのように選手生活を終えるか、それは「どう生きるか」という問いでもあります。


さてここで、歴代の有名選手たちの引退についてまとめてみました。

 

余力を残したまま引退

 

王貞治

王さんは現役バリバリのままユニフォームを脱いだ代表的な選手です。最後の年にホームラン30本というのは有名な話。
40歳となるラストシーズンは、全日程終了後に引退発表したため、引退試合はありませんでした。
代打だけなら50歳まで続けられると言われていましたが、当時のONは大横綱だから、番付を下げてまで現役は続けられないのですね。そう、横綱の美学です。

王さんの成績年表を見てみると、ほんとゲームの世界です。13年連続本塁打王、1年だけ田淵幸一に取られたがその後また2年連続本塁打王。40本塁打以上が都合13回。
通算本塁打868本はいまでも世界記録です。

 


山本浩二

法政大学からドラフト1位で入団したミスター赤ヘルは、実は当初、強肩や俊足が売りの一若手選手でした。
ですが、30代からの打撃成績がすごい。5年連続40本塁打以上を打ち、本塁打王4回、打点王3回を獲得。巨人ONの後のセリーグを代表するスラッガーとなりました。

そんなミスター赤ヘルも、余力を残してやめていく選手でした。40歳になるプロ18年目、打率.276、27本塁打、78打点という好成績を残して引退しました。
背番号8は広島カープ初の永久欠番です。

 


村田兆治

村田兆治と言えばマサカリ投法が有名ですが、このフォームに辿り着くまで4年がかかりました。その後は、剛速球と伝家の宝刀フォークボールでロッテの一時代を築きました。

トレーニングはとにかくストイックで、いつでもどこでも指の間に何かを挟んで常に指を鍛えていました。
ちなみに、今では当たり前の肘のアイシング用品ですが、村田がベンチで氷水を入れたバケツに肘を突っ込んでいる姿を見たスポーツメーカーの社員が商品化したとのことです。

そんな村田兆治も、余力を残して辞めた選手です。40歳の年、10勝8敗という成績を残してマウンドを去りました。

 

ボロボロになりながらひっそりと引退

 

落合博満

左の最強が王なら、右の最強は落合です。

落合博満は、王貞治とは対照的に、最後までボロボロになりながら引退した選手です。プロ入りが遅かったため、プロ20年目で45歳の年、日本ハムでひっそりとバットを置きました。己の主義で引退試合やセレモニーは無し。
そして、落合の代名詞はなんと言っても3冠王です。歴代最多3回の達成は、すべてロッテ時代でした。

圧巻は1985年86年の2年連続達成時の数字です。

1985年 率.367 本52 打点146
1986年 率.360 本50 打点116

最強すぎる。

 


桑田真澄

清原和博の熱望していた巨人から単独指名を受け入団した桑田は、友を出し抜いたとして球界のヒールとなりました。1年目こそ振るわなかったが、2年目には15勝6敗、そして2.17で最優秀防御率を獲得します。
その後、毎年二桁勝利をあげる巨人のエースとなりました。
ゴーイングマイウェイ的なその性格は、当時では珍しいウエイトトレーニングや栄養学、心理学、メンタルトレーニングなど独学で勉強し、古い慣習に抗って独自の調整法を取り入れました。

そして斎藤、槙原と巨人の3本柱として一時代を築きました。

ダイビングキャッチによる靭帯断裂からトミージョン手術を経て、カムバックしてから9年後、巨人のユニフォームを脱ぐことになります。

そしてメジャー挑戦のため海を渡りました。パイレーツで6月から8月までメジャーのマウンドへ上がり、イチローや松井と一度ずつ対戦しました。しかし、翌年40歳になる桑田にはチャンスはありませんでした。

アメリカでひっそりと現役を引退しました。

 

短くて太い現役生活

 

江川卓

長いプロ野球界においても、江川卓ほどバッシングを受けて入団した選手はいないでしょう。

高校、大学時に無敵だった「昭和の怪物」は、2度のドラフト1位指名を受けながら入団を拒否しました。そしてアメリカ浪人中の78年にあの「空白の1日」事件が起きます。
交渉権を得た球団は、翌年のドラフト会議の「前々日」まで交渉権利がありますが、ドラフト「前日」はフリーの状態となります。その穴をついて巨人が電撃契約を結んだということです。
しかしながら、その後セリーグ事務局と揉めに揉め、結局ドラフト会議で1位指名をした阪神とトレードする形で決着します。巨人のエース小林繁が阪神に行き、江川卓が巨人に行きます。

超絶ヒールとなった江川卓は結果で証明するしかありません。相当なプレッシャーだったと思いますが、やはり実力は本物。謹慎期間と浪人ブランクがあった1年目は9勝に終わりますが、2年目は16勝で最多勝、3年目は20勝をあげ投手タイトルを独占しました。

そんな江川は徐々に肩の怪我に苦しむことになり、プロ9年目、13勝5敗、防御率3.51という好成績を残し引退しました。

有名なエピソードとしては、カープの小早川に自信を持って投げた真ん中高めの直球を捉えられ、サヨナラホームランを浴びました。その試合後に涙を流し、引退を決意したようです。

 

ランディ・バース

日本球界で一番巨力なインパクトを残した外国人選手と言えば、バースでしょう。

阪神で6年間プレーし、シーズン54本塁打や日本記録のシーズン打率.389、そして2年連続で3冠王を達成しました。
掛布雅之とともにクリーンアップを打ち、阪神の21年ぶりのリーグ優勝と球団初の日本一を達成させた最大功労者です。

がしかし、昭和最後のシーズンに突然甲子園から去ることになります。

シーズン序盤の5月に、息子が頭部に水がたまる水頭症でサンフランシスコの病院に緊急入院となり、バース夫妻も付き添いで帰国することになりました。
当初、球団も容認していましたが、帰国中に突然一本の電話がかかってきました。「君は解雇だ」と告げられたそうです。

NPB6年間の通算打率.337、202本塁打、486打点という凄まじいインパクトを残したまま「神様バース」はユニフォームを脱ぎました。

 

ウォーレン・クロマティ

MLBで通算1063安打を残した30歳の現役バリバリのメジャーリーガーは、1年目から35本塁打を放ち、3年目には打率.363、37本塁打、98打点とその実力を如何なく発揮しました。

そして6年目には打率.378で首位打者を獲得。セリーグMVPにも選ばれてチームも日本一に輝きました。

しかしその翌年、クロマティは日本で最後の1年となりました。
巨人を去った翌年にはMLBのロイヤルズに移籍するも、1年で現役引退しました。

NPB7年間で通算打率.321、171本塁打、558打点という成績を残し、巨人史上最高の外国人選手となりました。

 


さて、何人かのレジェンドたちの引退について紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。

最後の二人は助っ人外国人選手ですが、日本プロ野球で鮮烈な印象を与えたので取り上げました。


そして松坂大輔投手は、「ボロボロになりながらひっそりと引退」のくくりになるでしょう。


プロ野球選手の現役引退とは、ある意味1度目の「死」です。

2度目の人生をどう生きるのか、これからの松坂大輔投手には期待したいですね。

 

 

 

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