BLOG

  1. HOME
  2. ブログ
  3. 冨田 展正
  4. 「他者と比較しない境地」に辿りつければ人生勝ち組

「他者と比較しない境地」に辿りつければ人生勝ち組

 

こんにちは。冨田です。

現代を生きる私たちの本能として、どうしても「他者と比較」してしまいます。
特に今は、スマホを開けばSNSで他人のキラキラした生活が嫌でも目に飛び込んできます。

「あの人はあんなに成功している」「同世代なのになぜ自分は…」と、無意識のうちに自分と誰かを比べてしまう環境が出来上がっています。

これは一概には悪いことではないのですが、度が過ぎると自分の人生を生きられなくなります。
常に誰かの背中を追いかけ、誰かの物差しで自分の「幸・不幸」を決めなくてはいけなくなります。

こうなると、ストレスフルな生活を強いられるし、いつまで経っても心が満たされることはありません。

逆に言えば、「他者と比較しない境地」に辿り着くことさえできれば、その時点で人生の「勝ち組」と言えるのではないでしょうか。

今日は、トップアスリートや著名人の生き様を分析しながら、このテーマについて私なりの考察を共有したいと思います。

 

村上宗隆と清宮幸太郎の「比較」の違い

野球の話で恐縮ですが、このテーマを語る上で非常に分かりやすい、対照的な二人の例があります。
プロ野球の村上宗隆選手と、清宮幸太郎選手です。

二人は同い年ですが、高校時代までを振り返ると、スポットライトを浴びていたのは、圧倒的に清宮選手の方でした。
早稲田実業で高校通算最多本塁打を記録し、ドラフト会議では7球団が競合するほどの「怪物」でした。
当時の知名度や注目度は群を抜いていました。

一方の村上選手も素晴らしい選手でしたが、当時はあくまで「清宮世代の一人」という見られ方だったと思います。

しかし、プロの世界に入って数年、その立場は完全に逆転しました。
村上選手は史上最年少での三冠王を獲得し、日本の主砲としてWBCでも世界一に貢献しました。
ライバルたちを圧倒的に引き離したのです。

一方、清宮選手はポテンシャルの高さは見せつつも、怪我や不調に苦しみ、高校時代のあの大フィーバーと比較すると、期待通りの活躍ができているとは言い難い状況です。

 

二人の差はどこで生まれたのか?

私は、「比較」をどう捉えたか、その「対象」と「ベクトル」の違いにあると分析しています。

村上選手は、大フィーバーを巻き起こした清宮選手を強烈にライバル視し、その悔しさを「燃料」に変えました。
持ち前の負けず嫌いや反骨心で努力を積み重ね、「あいつには負けない」という「健全な競争心」を持っていたのだと思います。

そして気づけばライバルを追い抜き、誰とも比較できない「村上宗隆」という唯一無二の高みに到達しました。
今の彼はもう、他者ではなく「自分が自分に期待する理想像」と戦っています。

一方、清宮選手はどうだったでしょうか。
あくまで私の邪推ではありますが、彼は実在のライバルというより、メディアや世間が作り上げた「虚像」と比較させられていたのではないでしょうか。

「王貞治さんのホームラン記録を超えるか」「大谷翔平選手のような怪物になれるか」 、まだ20歳そこそこの若者が、レジェンドや過剰な期待というフィルターを通して見られていました。

「今の自分」と「期待されている完璧な姿」を比較することは、常に「自分はまだ足りない」という欠落感を生みます。
これはエネルギーになるどころか、重くのしかかる「プレッシャー」になってしまいます。

その巨大なプレッシャーが、彼の本来のパフォーマンスを奪ってしまった要因の一つではないかと思うのです。

 

乙武洋匡さんが見せた「究極の答え」

もう一人、この比較論において究極とも言えるメンタルを持っているのが、乙武洋匡さんです。

ご存知の通り、彼は先天的に手足がない状態で生まれました。
普通に考えれば、五体満足な人と自分を比べて、壮絶な劣等感や絶望を感じてもおかしくない境遇です。

しかし彼は、著書やインタビューで、意外なほどあっけらかんと「劣等感を感じて生きてきたわけではない」と語っています。

それはなぜか?ここに、今回のテーマの核心があります。

私たちはなぜ劣等感を感じるのか?

それは、「もし自分があの人みたいに背が高ければ」「もしもっと裕福な家に生まれていれば」という「if(もしも)」の世界を想像し、それと現実の自分を比較するからです。
「こうであれたはずの自分」と「今の自分」の引き算の答えが、劣等感なのです。

しかし、乙武さんは生まれた瞬間からあの体でした。
あの体でしか生活したことがありません。
つまり、彼の中には比較すべき「五体満足で生きている自分」というパラレルワールドが存在しないのです。
比較ができないから、劣等感も生まれない。
あるのは「これが自分である」という、圧倒的な事実だけです。

これは「諦め」とは違います。
強烈な「自己受容」です。

「自分は自分である」と認め、他者との比較という概念そのものを消滅させている。
これこそが、最強のメンタル状態であり、究極の「勝ち組」の姿だと言えるでしょう。

 

「足し算」から「引き算」への転換

とはいえ、私たちのような一般人が、いきなり彼らのような境地に達するのは難しいかもしれません。
私たちは村上選手のようなホームランバッターでもなければ、乙武さんのような特異な境遇でもない、普通の人間です。

正直言うと、私も若い頃は人と比較ばかりしていました。
常に現状に不満を持ち、劣等感を抱え、どこか尖っていました。
世間一般でいうステータスにこだわり、くだらない見栄や小さなプライドを「足し算」していたようです。

ですが、40代にもなると、考え方がガラッと変わりました。
物欲はなくなり、見栄やプライドといった鎧を捨てることができるようになりました。つまり「引き算」ですね。

これは、「もう競争しなくていいや」という諦めではありません。
評価の軸を「他者」から「自分」に取り戻したのです。

誰かと比較して一喜一憂するのではなく、「昨日の自分より、今日の自分は少しでも前に進んでいるか?」 「自分の知識や経験をアップデートできているか?」 そこにフォーカスするようになりました。

評価者が「世間」や「他人」から、「自分自身」に変わったのです。
そうすることで、ストレスが減り、心に余裕が生まれ、結果として「幸せ度」が上がったように感じます。

 

まとめ

結局のところ、人生の「勝ち組」とは、資産の額や地位の高さではありません。
「他者と比較しない境地」に、どれだけ早く、どれだけ深く滞在できるかにかかっているのではないでしょうか。

村上選手のように、比較をエネルギーに変えて突き抜けるのも一つの道です。
乙武さんのように、絶対的な自分を受け入れるのも一つの道です。

そして私たち一般人は、余計な見栄やステータスといった「鎧」を脱ぎ捨てて、自分の人生の採点権を自分で持つこと。これに尽きると思います。

他人の人生を生きるのはもうやめにして、自分の物差しで、自分の人生を生きていきましょう。

それではまた。

 

 

********************************************

ロスキャリアでは工場内での製造のお仕事からピッキング・軽作業など多数ご用意しております。 高収入のお仕事が多く、正社員登用実績も多数あります。神奈川・東京で仕事をお探しの方はぜひお問い合わせください!   お仕事情報「ジョブ&キャリア」

コーポレートサイト https://proscareer.co.jp/

Facebook   X   Instagram   YouTube   TikTok   note

********************************************

関連記事