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人生をかけられる何かがあるということ

 

こんにちは。冨田です。

年末年始で故郷の山口県に帰省してきたのですが、少し考えさせられることがありましたので共有します。

年始2日に高校野球部のメンバーと集まって新年会をしたのですが、その際に当時のキャプテンの話になりました。彼は現在、母校の野球部の監督をしています。しかも学校教員ではなく、一般の会社員としてです。

日中は会社勤めをして、夕方から高校のグラウンドへ行き監督として生徒を指導しています。これ、思った以上にハードですよ。平日は夕方からですが、土日祝日は昼から練習や試合を行いますので、身体の空く日がまったくありません。

さらには、常日頃から選手の指導方法、練習方法なども考えていて、選手と交換日記みたいなものもやっているので、一体どこにそんな時間があるのか不思議になります。

でも、これって彼が自ら望んでその道を選んだのです。外から見ればめちゃくちゃ大変そうに映りますが、当の本人は「モチベーションMAX」で行っていることです。なぜなら、これが彼の夢でもあったからです。

思えば、彼のここまでの人生は野球一色でした。

 

野球歴

小学校低学年から野球を始め、中学、高校、大学、そして社会人まで野球を続けました。私もそうでしたが、子供のころはみんなプロ野球選手を目指しています。ですが、大きくなるにつれ徐々に現実を知り、自然とあきらめていくわけです。

彼はどこまでその意思があったのかは分かりませんが、高校野球で燃え尽きることなく、大学では一浪してまで関東の大学にこだわり、結果的に東都六大学の青山学院大学へ進学しました。そして社会人野球では名門のNKK(現JFE)野球部へ進みました。

野球のレベルとしては、地方の高校ではかなり上手い方でしたが、大学野球や社会人野球で、全国から一流選手が集まる中では、どうしても埋もれてしまいます。

ですが、彼は持ち前の元気と行動力、そして練習量でそれをカバーしていきます。レギュラー固定の選手とはいかないまでも、ベンチ入りして誰よりも声を張り上げ、チームを盛り上げていました。

そんな彼も、社会人野球部の統廃合を機に、引退に追いやられることになります。

本人はまだやりたいのに、やれない。
当時は泣いたと言ってました。

 

引退後

その後、彼はJFEスチールの営業に配属され、世界各国へ出張する仕事になりました。南米やヨーロッパ、ロシアなんかも行きました。ここでも持ち前のパッションで躍動します。

ずっと横浜市内で暮らしていたのですが、結婚もし、子供も産まれ、そして40歳を超えたとき、彼は大きな決断をします。

会社を辞め、家族ともども故郷へ帰ったのです。

母校野球部の指導をしたい。その一心でした。

高校の教員になれるわけではないので、一般の会社へ勤めながらコーチという立場で指導を始めました。そして何年かコーチを務め上げた結果、3年前に念願の「監督」に就任することになりました。

JFEでは役職についていたようですが、地位や安定を捨てて「自分のやりたいこと」へ突き進むその行動力は、とうてい真似できないことです。

 

最後に

そんな彼から学べることは2点です。

「自分の信じる道を突き進む」
自分に嘘をつかず、やりたいことがあるなら情熱をもって突き進むべし。

「小さなプライドは捨ててしまえ」
カッコ悪くても、貪欲にひたむきに努力すれば、道はひらける。

しかし、彼のように人生をかけられる「何か」があるというのは羨ましいことです。

皆さんは人生をかけてやりたい「何か」はありますか?

それではまた。

 

 

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