虫の存在
こんにちは。広報チームの岡野です。
漫画やらで、お腹を空かせた主人公がお腹を「ぐぅ~っ」と鳴らして、周りの人に聞かれちゃう…なんてシーン良くありますよね。
お腹が空いたり、美味しそうな物を見るとお腹が鳴りやすいようですが、この「ぐぅ~っ」という音が鳴ることを「腹の虫が鳴く」と言ったりしますね。
また、「虫養い」と言えば、軽食を取ったりして空腹を一時的に抑えることを言います。
まるで、お腹で虫を飼ってるような言い様ですよね。
お腹に虫が居て、それが鳴いたり餌付けまで可能なんですから、筆者は、はじめに言い出した人は面白い表現を思い付いたもんだなぁ…と思っていました。
しかし、この腹の虫…「腹の虫が治まらない」なんて言葉にも登場していますし、割と困ったちゃんな存在っぽい感じがあるんですよねぇ…。
もっと言うと「虫がかじる」なんて言葉もあって、こちらは腹痛や陣痛を指しています。
確かに内側から、かじられたらたまったもんじゃありません。
…と、ここまで「腹の虫」の話を書いてきましたが、『虫』は何も「腹の虫」だけはでないですよね?
何の虫の話かはさておき、「虫の居所が悪い」とか「虫酸がはしる」とか「虫が好かない」なんて言葉がありますし、果ては「弱虫」、「泣き虫」、「かんの虫」と、結構多くの謎の虫が居ることになっています。
どうも、本物の虫の話では無さそうだということだけは分かるのですが、これらが一体どんな虫なのかってちょっと気になりませんか?
…ということで、今回はこの『虫』の世界にちょっと首を突っ込んでみました。
そもそも、どうして体に『虫』がいるという発想が出てきて定着したんでしょうか…。
これは古くは、中国の道教の教えまで遡るようなんですね。
道教では、人間の体には三尺(さんし)という3匹の虫が居るとしているんです。
三尺は、それぞれ頭に一匹、腹に一匹、足に一匹と居場所が決まっていて、人が生まれた時には既に体の中に居るというんですね。
この虫たちは何をしているかと言うと、旧暦における十干十二支で、60日に1回やってくる庚申の日、人々が寝ている間に体から抜け出して、宿主の悪事を司命道人という人間の寿命を司る神様に報告する役目があるんだとか。
悪事が司命道人の耳に入れば無論、罰が下ります。
道教では行いの善悪は、寿命に直結しますから、悪事をバラされた宿主は、司命道人の手によって寿命を縮められてしまうんですね。
しかし、厄介なことにこの三尺。
宿主が死んだ後にこそ、自由になれるという虫たちなんですね。
早く自由を手にしたい三尺は、宿主の寿命を縮めるべく、司命道人にあること、ないこと報告しまくってしまうんです。
大きな過ちは300日、小さな過ちでも3日は、罰として寿命が縮むと言いますから、年に6~7回ある庚申の日ごとに、過大解釈された罪を報告されたならどんどん寿命が減っていってしまいます…。
そんなわけで、この三尺はお腹が空くと鳴く…などといった、ややほんわかした『虫』のイメージとは違い、実はかなり怖い存在だったんですね。
平安時代の貴族たちは、庚申の日には「庚申待ち」という行事を催し、皆で集まって夜明かしをしていました。
徹夜をすることで、寝ている間に三尺が司命道人に告げ口をしに行くのを阻止しようとしたんです。
なかなかの強攻策ですよね。
現代人からすれば、約2ヶ月に1回徹夜するという行事自体がなんだか寿命を縮めそうな気がしますけど…気のせいですかね?
でも、きっと平安の貴人たちは、それなりに真面目に「庚申待ち」をしていたんだと思います。
まぁなんだかんだ、この「庚申待ち」も、時が流れて江戸時代に入ると、イベントが大好きな江戸庶民の手によって、見事夜明かしパーティーと化してしまうのです…が、それはまた別の話として…。
…とはいえ、この「庚申待ち」を3年間18回行ったという記念に、庚申塔という石碑を建立するくらい大切な行事だったようです。
今でも、神社やお寺に行くと苔むした古い庚申塔が残っていたりして、「あぁ、皆で徹夜してたんだなぁ…」なんて、昔の人々の生活を感じたりすることができますよ?
ただ、江戸時代の頃には、『虫』の存在が、平安時代の頃とは、ちょっと変化してるんですね。
その違いたるや、なんと、体に住む虫が、3匹から9匹に増えるんです。
しかも、この9匹は、三尺とは、大分異なる存在なんですね。
神様に悪行を報告…といった風ではなく、江戸時代の人々は、体に住む9匹の虫が、自身の感情や意識をコントロールしていると考えていたんです。
脳やら神経やら、そういった分野は、まだまだ発展途上の時代ですから、『虫』によって制御されているってことで、通っちゃってたようです。
そんな訳で、「虫の知らせ」というのは、この9匹からのメッセージなんですね。
目に見えない不思議なことは、『虫』のせいってことで、とても、シンプルです。
さらにさらに、江戸時代や戦国時代においては、病気ですらも、『虫』の仕業であるということになってるんですね。
それこそ、大昔は、病気は鬼や呪いの仕業とされていたので、治療と言えば、もっぱら加持祈祷となるわけですが、医学的な治療が可能な段階に入ると、そういうわけには、いかなくなります。
(そこには、医師が病人を治療するために、原因が鬼のままでは困るといった事情も絡んでくるわけなのですが…)
では、何が原因か…となったときに、まだウィルスが…とか、細菌が…なんていう時代ではありませんから、結局、そこも、『虫』の出番となるんですね。
お医者さまに「原因は『虫』ですな」と言われたら、納得しちゃうという訳です。
『虫』が原因の病気は、「虫病」なんて呼ばれたそうですが、戦国時代の段階で、63種類の『虫』が病原として扱われていたと言われていますので、当てはまる病気も、それこそ多種多様。
腰痛も、心の病も、『虫』の仕業だったという話ですから、治療内容が気になるところですが…この「虫病」も、明治になり、外国から西洋医学が入ってくると、少しずつ廃れていき、やがて『虫』の存在自体が消えていってしまうんですね。
そして、『虫』に関係する言葉だけが、今日にまで残っているという訳です。
存在は消えてしまったのに、言葉の中ではまだ生きているなんて、『虫』は本当に生活に密着していたんだろうなぁ…なんて筆者は思いました。
さて、今回はちょこちょこ言葉として出てくる、『虫』という存在について少し書いてみました。
意外と奥が深く、『虫』を絵に描いて説明してある文献なんかも残っていて、その『虫』たちの、それはもう見てきたかのようなユニークな姿が印象的なんですね。
「これはっ」と思うような面白い虫が見つかったら、またご紹介しようかなぁ…なんて考えています。
それでは、今回はこの辺で失礼いたします。
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